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「生きる」とはどういうことか。「死ぬ」とはどういうことか。

僕の現在の解釈を以下に述べる。

僕らは自分の意思で
この世に生まれてきたわけではない。

僕らは誰でも「生きなさい」と言われて
誰かまたは何かから、命を授かった存在である。

そう。僕らは与えられた存在である。
人間として生きる命を与えられた。

この身体。目、耳、鼻、口、手、足、頭、脳。
自分の体や心。ものすごく精巧なるこの存在。

身体能力、成長の力、回復能力、知能、
感覚、感情などを備えたこの命。

この生命には寿命がある。約80年。とはいえ、
80年といえば大した時間である。約3万日。

太陽と月が約3万回ずつ
昇り沈むほどの時間である。

これだけの時間を生きる可能性を
命として授かったのでございます。

どんな世界に?
この広大で精細なる世界に。

青空や星空に広大さを感じ
山川草木に精細さを感じるこの世界。

自然の摂理が織り成すこの世界。
先人たちが築き上げてきた複雑高度な社会。

そんな世界に僕たちは生まれてきて
そして生きている。

生きていくなかで次第に、この世の仕組みや
成り立ちや意味、そして価値を体得する。

ものすごいものを与えられているという感覚。
ものすごい恵みを与えられているという感覚。

宮崎駿は言った。
「この世界は生きるに値する」

ヘミングウェイは言った。
「この世は素晴らしい。 戦う価値がある。」

生きていくなかで僕たちは、この世界を構築する一部となり
また次の命を与える側にもなりうる。

「生きる意味」は、生まれながらにあるものではなく、
与えられたこの世を生きる中で、自ら見つけていくものである。

死とは何か?
そもそも僕らは有限の時間を与えられた存在。

死とはその限られた時間が、
早かれ遅かれ、尽きるだけのこと。

願わくば、生を受けた恵みを十分に感じ尽くし
感謝とともに死んでゆきたい。

メルセデス・ソーサは歌った。
「人生よありがとう」

有限の時間を意識して生きること。
それがすなわち、メメント・モリ。

儚いもののかけがえのなさ。
有限だからこその尊さと美しさ。
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