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大晦日に涙する

大晦日の夜
両親と過ごす

家族の歴史や、生まれ育った地
意東(いとう)の歴史について話しあう

そのうちに盛り上がってきて「意東村史」があったはず!という話しになり
紅白歌合戦そっちのけで家中の「意東村史」捜索がはじまった

探し始めて約1時間
発見しました!じゃん!

意東の歴史

左:「意東村史」
   昭和23年11月24日発行 著者:伊藤菊之輔
   昭和57年3月再版 再版者:福頼弘二

右:「意東小学校百年のあゆみ」
   昭和50年3月1日発行 編集:意東小学校開校百周年記念事業実行委員会

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読んでいたら、じ~んとなりました
目頭が熱くなり涙ぐみました

「意東村史」は終戦後すぐの昭和23年に発行。
日本が戦争に敗れてすぐの大転換期のころです。

その当時の意東小学校の伊藤校長先生が
村の再生の基盤になればと願って書かれた本です。

その中で特に僕が心を打たれた
前書きの一部を引用します。

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”過去の日本は亡びた。村も亡びた。
待つものは再起あるのみ。新しく生まれ出るのみ。
日本の再建と村の新生を目指ざす六三制による教育と民主的な諸施設は
実施されたけれども、未だ混沌たる過渡期の状態を脱する事は出来ない。
然し、意東の教育は、ソ連や、アメリカの教育を意味するものではなく
村に立つ教育であり、村の再建であることだけは明である。
然らば、何としても、わが村の新生の基盤をなすものは、
まづ自己を知る事であり延いては家と村の実態を知り
各自の責務を自覚する事に始まるといわねばならぬ。

「村の過去なんか、金魚の尾に引かれる糞である・・・」との忠言も承った。
然し、私は何も尚古思想を抱くものでもなく、
といって古い事は何でも捨てようとする事大主義者でもない。
この大転換期に、時代錯誤とも思えるこんな仕事を計画する真意は、
日本再起に村の新生に、この無用の用が将来必ず役立つ時が来ると信ずるからである。”

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この文章を読んで、まさに僕が今歴史を学んでいるその動機というか
突き動かされている気持ちと、共感してしまって震えてしまいました

そして僕の小学校の先代の校長先生がこんな素晴らしい志を持っておられて
今こうして六十数年の時を越えて、僕の胸で感じ取ることができて・・・

とても嬉しく思い
そして誇りに思いました

戦後の物資の乏しい昭和23年に出版された本誌
発行部数も少なく紙質も悪いなか、何とか残そうと
昭和57年に、再出版へとご尽力された方々
その本が我が家の本棚に眠っていることを覚えていた両親
そして今日、僕のもとへ届いた「意東村史」

歴史を伝え引き継いでいこうとする先人の方々の
熱い想いに感謝の気持ちでいっぱいになりました

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この本の内容もとても僕にとっては興味深かったです
この地の概要や地理、遠隔、文化に始まって

産業、神社仏閣や名所旧蹟、行事、開拓史、有名人物、
戦死者と遺族の名簿までありました

「姓氏考」というのもありまして意東には「永島」という
名字が多いのですが、その由来の考察もあり面白かったです

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「意東小学校百年のあゆみ」には
明治5年の学制頒布の2年後の明治7年から

すでに意東小学校が開校されたことや
開校当時は神社の神職の方の自宅を仮の小学校としてやっていたとか

さまざまな年度の先生や卒業生(一番古くて明治29年卒)の方々の
小学校の思い出の感想文が掲載されていたりして

こちらもまた
素晴らしい本でした

------

こういう本を通じて先人の方々の「次世代の人たちへの想い」を知ると
ああ色々なことを考えて受け渡してくださってるんだなぁと感じ

とても胸が熱くなり
感謝の気持ちでいっぱいになります。

そうするとなんだかもう、床にひざまずいて、どっち方向かわからないけど
両手を合わせて涙ながらに拝むほか無いような気持ちになって・・・

実際にもうそうせざるを得なくなって
そんな風になってしまって、もう誰かが見てたら変なひとだと思わるかもしれませんが・・・

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先日、神社の前で一生懸命に無心に拝んでおられたおばあさんのことを思い出し
ちょっぴり、同じような気持ちになれたのではないかという気もしなくもないです

そんな風にして大晦日の夜は更け平成二十五年のお正月になります。
年が明けると、僕は数えの39歳になります。

30代最後の1年間(数え年で)は歴史にしっかり根を張って
先人に感謝し受け継ぎ未来へ向かっていきたいと思います。
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深い森に迷い込んだようです

歴史の森の奥深くに迷い込んでしまい
抜け出す事ができなくなりました

今日は、お正月休み(冬休み?)の初日でしたが
様々な歴史を調べていたら、日が暮れてしまいました

今日だけではなく時間があれば
最近は歴史ばっかりです

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日本の近代・現代史を調べてたら
そのうち朝鮮や中国の歴史に移ったり

そうかと思えば、大航海時代から産業革命への
近世・近代の西洋史へ移ったり

そしてまた日本に戻って幕末のころを調べたり
気づいたら地元の郷土史を調べてたり

今度は、自分の家系の歴史を調べだし・・・
そしたら江戸時代の参勤交代の話に移ったり・・・

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やばいです。面白すぎて抜け出せません。
気づいたらネットで何か歴史の調べ物をしたり

歴史の本を読んだり動画を見たり
かなりはまっております!

年賀状もまだ書いてないし
ブログの更新もたぶん今後もしばらく滞りそうです

どうやら今年の冬休み(お正月休み)は
こんなペースで進みそうな予感です

いったいどこかに抜け出せるのか?
深い森をさまよっている最中なのでよくわかりませんが

そのうちパッと視界が
明るく広く開けるといいなぁと思います
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カラコロ・ミュージックサロン

昨日はカラコロ・ミュージックサロンでした。

多彩な出演者、熱のこもった演奏!
年のしめくくりにふさわしいすてきなミュージックサロンでした♪

カラコロ・ミュージックサロン201212月の1


「今年2月に初めて一人でここミュージックサロンに出演し
1曲だけ演奏したのがもう10年も前のようです・・・」
と、フジコさんがトークで語っておられました。
本当にそうですね!というぐらい
ミュージックサロン、その他、様々な演奏の場や、つながりの中で
みなさんにとってとっても濃密な時間が流れているように感じます


オズさんにおかれましても胆石除去の手術をされりしながらも
新曲の録音やパフォーマンスの開発をどんどん進められていて
パフォーマンスのネタとしてまで胆石を使ったりされていて(笑)
今回は「語り」も入ってたりしてとても楽しませていただいてます!


パラノーツの「もののけ姫」
アシタカがヤックルに乗って旅をするシーンが浮かびました。
澄んだ空気、神々しい森、雄大な自然の中、運命を見定めるための旅
アシタカの張りつめた心、決意。
とても静かで穏やかなシーンなんですけども、ああいいシーンだなぁ
もう一度見てみたいなぁと、聴きながら感じました。


KTT。情熱大陸やキャッツアイはとってもノリノリで
舞台控えで、マッキーを中心に(笑)みんなで踊ってました!
アリエスの星では人類の業(ごう)の深さを感じます。
僕の勝手な解釈によりますと、星は人類の何千年の歴史を空から常に眺めていて
人々の激情(深い哀しみや、抑え込められた感情なども)を静かに知っている
その感情はときに大河のように、上辺のみならず底流でも激しく流れている


僕が今歴史に興味を持って勉強をしているのは
昔の人々がどのように世界を見て感じて生きていたかを感じるため。
僕たちは決して過去の人たちと切り離された存在ではなくって
引き継ぎ、受け継いで、つながりを持った連続した存在。
祖先の人々の心を知ることは、自分自身を知ることでもある・・・。


低音、高音それぞれ音が連綿と織り成される音色を聞きながら
人類の歴史と人々の想いについて思いを馳せておりました。

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今回は、沖さんと、ビクニータスでもご活躍のビエントスのDさんが
はるばる鳥取からお越しになりました。

電車で松江駅まで来られましたので車でピックアップ♪
そしてカラコロ工房へ!

録音をネットにアップして聴いてもらって
当日合わせでしたので、隣の部屋で練習兼打ち合わせ

ミュージックサロンの出演者としては異例の大人数7名!

・Diablo Suelto
・ふるさと
・コンドルは飛んで行く

の3曲を演奏させていただきました♪

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のんびりと一畑電鉄の旅

おとといのお休みは雨模様でしたので
史跡巡りはやめて、一畑電車の旅に行きました

松江しんじ湖温泉駅を出発して、出雲大社駅まで行き
出雲大社で少しうろうろして、出雲市駅まで行きます

一畑電鉄の旅4


出雲市駅からはJRに乗り換えて松江駅まで帰ってきて
JR松江駅からはバスで松江しんじ湖温泉駅まで

電車で宍道湖ほぼ一周の旅です♪

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先頭車両に乗り込んで(といっても2両編成)
線路を眺めいるのがとっても楽しい

一畑電鉄の旅1

川跡駅(かわとえき)で乗り換えます
一畑電車はとってもレトロです

一畑電鉄の旅3

車内のつり革も超レトロ
右側のつり革の文字を読んでみると・・・

一畑電鉄の旅2

「お子様の楽園 一畑パーク」
って、30年以上前に閉鎖になった遊園地(笑)

僕は行ったことありません。歴史を感じますね
アブドラ松本さんの伝説の替え歌を思い出しました

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一畑電車での旅はのんびりゆったりです
時間の流れがとても遅く感じます

出雲大社駅へ向かうさなか、途中で電車が一時停止
何かと思えば、おばあちゃんが、線路を歩いてる!

おばあちゃんは、線路からゆっくりと駅のホームに登り
それを待って、電車は再び走りだし、駅のホームへ

すると線路を歩いてたおばあちゃんが、電車に乗ってきました(笑)
電車のガイドさん(そう電車にガイドさんがおられるのです!)がおばあちゃんに注意

危ないですよと。でも、そんなに強い口調ではなく
「危ないから線路を歩いちゃだめだよ」と軽く諌める感じで

電車内は和やかな雰囲気、なんというか、田舎ならではというか
ローカル線ならではというか、乗客のみんなも不思議な出来事に終始、笑顔

「到着が2分遅れてすみません」 とガイドさん
でも、だれも2分の遅れなんて気にしていません(笑)

ほんと、のんびり~♪
という感じです

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出雲大社の近くでお蕎麦とぜんざいを食べてちょっとぶらぶらして
すぐまた電車に乗り込んで、しゅっぱ~つ!

再び川跡駅で乗り換えて今度は出雲市駅へ
乗り換え時間に余裕があるので市内を少し散策

一畑電鉄の旅5

散策していたら、高瀬川を発見!
そして大梶七兵衛さんの銅像も発見!エビスビールが供えてあります(笑)

一畑電鉄の旅8

大梶七兵衛さんの業績は小学校のときに習いました
社会科の授業で見学にも来た覚えがあります

風が強く水にも恵まれない荒れたこの地を開拓しようと
防風林を植えたり、高瀬川の用水路を開削された方です

高瀬川(たかせがわ)の優雅な流れに秘められた創意工夫 - 大梶七兵衛


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ふだん自動車乗りですと電車に乗る機会はかなかないですが
こうしてのんびり電車に揺られるのはいいものですね

以前の木次線の旅もそうでしたが、ひとり
もの思いにふけりったりして心が豊かになった旅でした
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存在するということ、生きているということ

神社の境内にある小さな社に向かい
老齢のおばあさんが一生懸命拝んでいる。

体全身を使って礼をしたり、まさに全身全霊を込めて
か弱そうな体だけど、魂の入った言葉を唱えながら

ここまで遠くから歩いてきたのか
ごろちゃん(押して歩くやつ)が社の側に置いてある

お供えしてあるのはチオビタドリンク!?
社に向かい、おばあちゃんがどんな気持ちなのかは分からない

でもその真剣さ・本気さはとっても伝わってくる
そのように拝み祈るに至ったおばあさんなりの歴史があるのだと思う

その姿を見ながらいろいろな想像をしてみる
誰か大切だった人のことを思いながら拝んでるのかなとか?

もちろんそのおばあちゃんの本当の気持ちは分からないよ
でも、その真剣さを見ていて感じるものは多い

何百年何千年と続いている神社ってたくさんある
神社って何のためにあるんだろう?

そういう不思議を感じることもあるけど
こんなおばあちゃんの姿を見ていると、納得できる

こんな風に、おばあちゃんが、礼拝と信仰の対象としていて
それによって、社はその存在感が生まれ

こんなおばあちゃん達がいることが
社に生命を与え、社が生きているんだなぁと感じた

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神社の近くには森がある
森に息づく、小鳥たちとその鳴き声

鳥たちのさえずりが聴こえてくるから
森も生きているんだなぁと感じるし、圧倒的な存在感が生まれる

社や森は、人や鳥との関わりの中で
生きているし、存在しているのだなぁと思いました

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古墳時代~奈良時代の史跡巡り1

最近はブログ更新が滞っています
しかも書いたとしても歴史の話ばかりで・・・

といいますのも、最近は歴史にすっかり、はまってしまいまして
でも仕事も少々忙しくなってまして

「仕事」→「歴史」→「仕事」→「歴史」→「仕事」→「歴史」

な感じの日々でございます
息抜きも少々しておりますけどね

買う本も、出雲国風土記の本ですとか
日本人論的な本を買って読んでいます

史跡巡り5

ラフカディオ・ハーンの「日本の面影」は
1890年(明治23年)ごろの日本のことが書かれていますし

ベネディクトの「菊と刀」は
1946年に出た日本の文化について論じてある本です

どちらも歴史に興味を持ち始めてから、あらためて読んで見ると
輝きが違って見えます!つまり面白いでございます!

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先日は、本だけでは物足りなくなって
天気もいいことですし、史跡を巡って来ました~

古代出雲を巡る旅、地元の再発見です
あちこちと巡ったコースを順に列挙しいていきますね

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(1)八雲立つ風土記の丘

奈良時代の住居とか、岡田山古墳の前方後方墳とか
展示室のジオラマ地図&2画面で史跡群の紹介をするやつが良かったです

史跡巡り4

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(2)山代二子塚古墳

山代のホックの近くに突如現れる古墳!
ピクニック気分の家族ずれもいてのんびり

史跡巡り2

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(3)ガイダンス山代の郷

山代二子塚古墳の近くに隣接してあったので寄って見ました
熊野大社の特集がしてました

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(4)黄泉比良坂(よもつひらさか)

僕の地元です。神話の世界ですね。
以前に訪れたときは「何も無いところだね」とがっかりしましたが

ここが神話の大事な舞台かと想像を巡らせると
とてもこみ上げるものが今回はありました

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(5)揖屋神社

地元ですが夏の穂掛祭り以外にほとんど来た事が無いので
ゆっくりと本殿・拝殿などを見て回りました

奥の方には稲荷神社もありまして
地元の商店や企業が奉納したと書いてある鳥居がたくさん立っていました

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(6)真名井神社

茶臼山のふもとにあるのが、真名井神社。
真名井神社へ行くのは、今回が初めてだと思いましたが

でも行ってみると、なんとなく行き覚えのあるような雰囲気
ずいぶん昔、子供の頃に、カブトムシを捕まえに親が連れてきてくれたような・・・

そんな記憶がにわかによみがえったような
でもやっぱり違う神社だったかも・・・という感じ

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(7)出雲国府跡

奈良時代頃の出雲国の地方政治の中心だったと思われる地。
整然と区画されていたらしい。建物跡の復元からもその面影がうかがえる。

史跡巡り1

ここへ来るのは3度目。1度目は迷い込んでやってきた。
2度目はなんとなく近くを走っていて寄ってみたくなって来た。

そのときはこの史跡が何なのかイマイチよくわからなかったけど
なんとなく心にちょっとトゲが刺さったような気持ちに。

そして今回は「この史跡が何なのか」を始めて意識して来ました。
とってもステキ。感じること多し。茶臼山の眺めもGood!

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(8)六所神社

出雲国府跡に隣接している神社。意宇六社のひとつだそうです。
意宇六社はほかに、熊野大社、眞名井神社、揖屋神社、八重垣神社、神魂神社だそうです。

史跡を巡る8


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(9)意宇川

六所神社のすぐそばには意宇川が流れていました。
すごくきれいな川の流れ。川沿いはそれほど都市化されておらずゆったり感あり。

自転車でのんびりとポタリングなどするのも
「さぞ楽し♪」ことでしょう

史跡巡り3

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(10)十字街(ちまた)推定地

風土記に出てくる交差点があったとされる場所
その当時の交通事情に思いを馳せるのも、いとをかし。

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(11)意宇の杜推定値

出雲国風土記の国引き神話で
意宇の名前の由来となったとされるゆかりの地

農免道路沿いに突如現れるちょっとした森です
知らないと見逃して通り過ぎちゃいますね

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(12)出雲国分寺跡

国分寺の跡、こんなところにあったとは!
たまに通る道沿いにありましたが、全く気づきませんでした。

史跡巡り6

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(13)竹内神社(平浜八幡宮)

地図を見ながら国分尼寺の跡をさがしていたら
鳥居があったので「あったあった」と思って入っていったら

なんとなく見覚えのある場所でした
あっ、ここって竹内神社じゃん!

いつもと違う方面を通って入っていったから
錯覚に陥りましたぜぃ

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(14)山代郷正倉跡

松江から八雲へ通じる国道432号線沿いにある史跡
税として納められたお米を保存していた倉庫の跡だそうです

史跡を巡る7


ゲートボール場が隣接していたり公園として整備されており
小学生達が野球をしていて、史跡の柱の復元が1塁ベースになっててました(笑)

子供のころ何気なく触れていた風景・・・。その地について、いつか将来
歴史を感じ意味を知ったときに、心に生き生きと歴史とともに息づく。

きっとそういう順番で、歴史というものは感じるものなんだろうなぁ
と、野球少年たちを眺めながら、一人感慨にふけっておりました。

------

短時間でしたが、密集している様々な史跡を巡って
とても堪能できましたぜぃ~。

なぜ突然に史跡に興味がわいてきたのか自分でもよくわかりませんが
不思議な気分でございます。見る史跡史跡が楽しくてしかたありませんぜ。

今日は久し振りのお休みなので
今日もいろいろ探訪してみようかなぁと思います♪
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令制国(旧国名)の地図を描いて覚えてます

歴史を調べていると、備後・土佐・伊賀・甲斐など
昔の国の名前が出てくることがよくあります

これは昔の地方行政の区分で
「令制国」と呼ばれるものだそうです

だいたい現在の都道府県になったのは明治の初めごろで
それまでは「令制国」という区分だったそうです

その「令制国」は奈良時代から明治初期まで
なんと約1000年もの長い間にわたって

日本の地理的区分の基本的な単位として
それほど変わらずに、あり続けたとのことです

明治初期に都道府県になってから約130年~140年と
まだ歴史の浅い都道府県の区割りとは歴史のスケールが違いますね!

日常生活を送る上で、今でもよく令制国の国名が各所に出てきますが
それはこれだけの長い歴史があり人々の暮らしに息づいていたからでしょうね

ということで、令制国の国名とその位置関係について
歴史を学ぶ上で絶対に覚えておいた方が良い!と考えました

覚えるには自分で書いてみて覚えるのが
一番ではなかろうかと思い、書いてみましたよ!

令制国の地図
令制国(旧国名)の地図
(画像をクリックすると大きな地図が出ます)

令制国クイズというものもあります

歴史のあれやこれやを調べていると「面白いなぁ!」と思うことが
どんどん出てきてすごく楽しいのですが、なんなんでしょう?

僕が歴史が苦手だったから分からないんですが
僕が感じてるこういう「へーっ!すごいっ!」と感じてるようなことは

普通に常識として多くの人たちは知っていて
僕が無知だったってことなのでしょうかね?

それとも多くの人にとって知らないことだったり
または特定の年代にはあんまり知られていないことなのかなぁ?

とも思ったり・・・
そこのところがいまいち良く分からないところです


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風土記の時代の出雲

最近は歴史への興味がムクムクと湧き上がってきておりまして
行きたくて行きたくて、うずうずしておりましたが・・・

この前の週末に、古代出雲歴史博物館
歴史の勉強に行ってきました♪

そこでゲットしたのが
じゃん!
風土記の時代の出雲1

「風土記の時代の出雲」の地図
(見えにくくてすみません)

風土記の時代といえば出雲国風土記が完成したのが西暦733年ですから
約1300年ぐらい前の頃の出雲地方の地図ということですね

1300年前ですよ!すごい昔ですね。
時代で言うと奈良時代ですね~。

もちろんその当時にこんな詳しい地図は無いわけでして
出雲国風土記や古事記などの歴史書や

様々な地理学・歴史学の叡智と、人々の想像力によって
この地図はに作られれたのだと思います。

なんと申しましょうか・・・。この地図を見ているだけで
もうね~、ぜんぜん飽きないんです♪

ちょっと拡大したのも、載せておきましょうかね
風土記の時代の出雲2

この地図の見どころが、どこかという点ですけれども
見どころ満載で何から書けばいいのやらという感じですが・・・

がんばって列挙していきたいと思います

■現在までつながる地名

「出雲郡」「島根郡」「秋鹿郡」「意宇郡」「大原郡」「仁多郡」「飯石郡」「神戸郡」
をはじめとして、現存する地名の由来の多くが、風土記の時代にまでさかのぼれるということ

時代は変わり、戦(いくさ)も起きるけど、
地名を通じて過去と今がつながっているんだなぁと嬉しくなる。

特に「意宇郡」があってうれしかった。
子どものころから意宇川という川の名前には、なじみがあって

そんな身近な地名がちゃんと1300年前の
風土記にも載ってることが嬉しかったです。


■逆に、風土記には無い地名

すぐに気づいたこと。この地図には「松江」という地名が無い
なのでGoogleで松江の地名の由来を検索したところ・・・

「諸説ありますが、西暦1611年に堀尾吉晴が亀田山に城を築いた時
中国浙江省「淞江(しょうこう)」とこの地が湖が美しい処やスズキや
じゅん菜を産する処がよく似ているので「松江」と命名したとのことだそうです」

なので現在の県庁所在地の松江は、風土記のころよりは時代を
だいぶん下って江戸時代以降の呼び方なのですね。


■地形の変化

地図をみれば分かりますが、1300年前は地形が大分違ってたようです。
まず弓ヶ浜がまだつながってなくて「夜見島」となっています。

斐伊川は「出雲大川」と呼ばれていたようですが
この当時は入海(宍道湖)ではなく、北海(日本海)へと直接流れていたようです。

そうそう、たたら製鉄の時代に流れ出た大量の砂によって、斐伊川の流れは
変わったとありますからね。

宍道湖と中海をつなぐ大橋川の形もこの当時と今とではだいぶん違いますね。
この当時は今の松江の橋南と橋北をつないでいたのは、朝酌の渡し舟だったそうです。
(橋南・橋北といってもこの当時は橋はひとつもかかってないのですが)

地図を見ると、橋南と橋北をつなぐには、朝酌あたりが一番距離が短かったようです。
なので、北と南の往来を基礎に、朝酌のあたりが栄えたという感じもします。

そしてその近くに出雲の国府があるというのも
なんとなく納得できる感じでございます。

------

すみません。書いている途中でしたが時間切れになりました
続きはまた後日かくかも。書かないかも。
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歴史に触れたときの、あの不思議な感情は何と呼ぶのでしょう?

僕が身近な歴史に触れて
不思議な感情を覚えたときのことを書きます

僕は普通に地元のI小学校に
6年間通って卒業しました。

卒業して何年もたってから
父親から聞いた話です

「お父さんも小学生のころは、I小学校に通っていたんだよ」
「でもそのときはI小学校は今の場所ではなくって、別の場所にあったんだよ」

詳しく聞いてみるとなんと、どうやら僕が小学校に入学するほんのちょっと前に
別の場所から今の場所へ、移転したとのことです。

今、幼稚園や保育園があるところに
昔はI小学校があったんだよ!と

なんかとても、意外な感じを受けました
「へー」という気持ちとか、小さな驚きも混じった不思議な感情です。

I小学校は、昔から今にいたるまで、ずっと今の場所に
存在し続けているものだと無意識に思い込んでいたのかもしれません

でも実はそうではなかった!
今まで無自覚だった過去を知ることになった!

そうか~そうだったんだ~
へ~知らなかったし考えもしなかった~

そういえば小学校の校舎は、きれいだったし新しかったなぁと
振り返ってみて思います。納得できます。

------

以上の例は、僕の個人的な些細な一例ですけれども
最近歴史に興味が出てきたというのは、そういうことなんです

今現在、ものごとがこうなっているんだけれども
それがどうして今そうなっているのかということを知るっていうのが

驚きや感動などの感情を含んだ不思議な感情を伴う
特別なできごとのように思えるからです

そして歴史を知る前と知った後では
ものの見方が明らかに変化しているというこの不思議!

うまく言いたいことを伝えれていない気もしますが
そういうことを感じております
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2012年11月のアンデス日記

11月のアンデス日記です。
11月は本番なし練習のみの1ヶ月となりました。


☆2012年11月4日(日)

練習@朝酌公民館

現在取り組み中の曲を
来週のこっころサンデー演奏向けに練習。


☆2012年11月11日(日)

練習@京店商店街事務所

この日は、カラコロ広場のこっころサンデーで演奏予定でしたが
雨天のため中止で残念。

岡山のオカリナ・箏のグループ「ユニット妖」さんと一緒に出演予定でしたが
ユニット妖さんの演奏も聴けなくなり残念でした。

しかし残念なことばかりではありません。
鳥取から沖さん、そして奈良のグループのDさんが来られていました。

沖さん、Dさんと一緒に練習&交流!
とっても刺激になりました。


☆2012年11月24日(日)

練習@竹矢公民館

久し振りに5人全員で練習。
マッキーはのどの手術が順調に終わりましたとのこと。よかった♪

まだ少しのどを安静にしていたほうが良いと思われますが
美声を披露していました。

最近取り組んでいる曲も
少しずつ仕上がってきつつあります。

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12月はカラコロ・ミュージックサロンで出演予定です。
アンデスとしては久し振りの参加となります。楽しみです♪
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