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源氏物語を読んでます

しばらく前に小林秀雄の
本居宣長を読み始めましたが

読んでいる途中で、脱線に脱線を重ね
横道に、横道にそれています。

そしてやはり、読み進めるにはまず
源氏物語を読んでおかねば!ということで



田辺聖子さんの新源氏物語を
かりて読んでいます。

がしかし、これがすごく面白くて
面白さに身悶えながら読んでます。

近藤富枝さんの、源氏物語についての
解説動画も面白く、復習を兼ねて見ています。

http://www.youtube.com/playlist?list=PLdoANlSaeHvfICScqbeT2Tv_1XWdHgBK_
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ギリシャ神話

声ものがたりで
ギリシャ神話を聴きました。



メデューサの首を討ち取ったペルセウス
ロバの耳にされたミダース王
デウカリオーンと大洪水
エロスとプシューケ
自分を愛したナルキッソス
機織の娘アラクネー
大地の女神デーメテールと娘のペルセポネー
パンドラの壺
牝牛になったイーオ

名前は聞いたことあるけど
物語を知らなかった神々の話が

実はどんなお話だったのか分かり
とても面白かったです。

ナレーションと音楽が素敵で
とても気持ちよく聴けました。

松江市立図書館で無料で
かりることができますよ。

同じく、
小林秀雄の講演集1~7
司馬遼太郎講演集1~8
中村元のお話のCD

などもかりて聴いて
かなり良かったですのでおすすめです。


本居宣長

小林秀雄の本居宣長を
読もうと決意した。

それが2月19日。
まだ54頁目である。

しかしそれが
いかほどのものか。

本居宣長は35年かけて
古事記伝を著したそうである。

小林秀雄は11年かけて
本居宣長を著したそうである。

僕における1ヶ月や1年が
いかほどのものであろうか。

そのように思い巡らせながら
じっくり読み進めたいと考えている。




小林秀雄で考える「歴史」の捉え方

小学生の頃から大学生の頃まで、ずっと苦手だった歴史。
苦手というよりも、面白さをあまり感じなかった歴史。

結局のところ、歴史の世界と、現在の世界との
つながりや関連性をあまり実感できなかったし

歴史における一番、大切なことについて
なにも知らなかったからだと思います。

ところが、そんな僕でも、最近の数年間は
歴史を学ぶこと、歴史を感じることに

はまっています。
面白くてしかたありません。

歴史眼を持つことは、ものすごく重要なことだ。
と、実感するようになりました。

自分のことを知る。自分たちのいる世界のことを知る。
それは歴史を学ぶことを通じて得られる。

知れば知るほど、自分は自分だけで成っているわけではないと実感する。
もっと大きな歴史の結果として僕たちや僕たちの世界ができているということ。

------

小林秀雄の、「歴史」をどう捉えるかという
素晴らしい講演がYoutubeに、4分割で載っております。

何度も聞いて、歴史とはなんだろうか。
どういうことだろうか。かみしめております。

小林秀雄で考える「歴史」の捉え方(1/4) 15分

○新嘗祭をただ一人執り行う天皇陛下を、カモ雑炊を食べながらお守りしつつ感じる親近感。「陛下は先祖への信仰をちゃんと持ってるんだな」と感じて心動いた、という話。

○皇居の建築と職人と木材と文化の話。

○本当の歴史家とは、過去を研究する人のことではなく、過去をうまく蘇らせる人のことを言うという話。


小林秀雄で考える「歴史」の捉え方(2/4)

○客観的事実を、主観の中に生き返らせるから、本当の客観的事実になる、という話。

○自分を直接知ることはできない、という話。

○「大和心(やまとごころ)」とは何か?日本では文学の担い手が女性に渡った理由につながる話。


小林秀雄で考える「歴史」の捉え方(3/4)

○日本とは、いつでも学問が外から押し寄せてきた国である、という話。 (2/4からのつづき)

○歴史を知るとは「いにしえの手ぶり口ぶりが、心にありありと蘇る」ことだという話。本居宣長が古事記伝を完成したときの歌を引用して。

小林秀雄で考える「歴史」の捉え方(4/4)

○歴史をよく知るということは、自分自身をよく知るということと、ちっとも変わらない、というお話。

○歴史家の主題は常に「人間の思想・考え・精神」である。それは出来事の連続ではない。出来事を人間がどのように経験しどのように解釈したかという人間の精神を扱うのである。というお話。

○古事記に出てくる神々の話を、どのように考えるか? 本居宣長、水戸光圀、新井白石がそれぞれどう捉えたか。というお話。

○歴史を知るということは、己を現代の迷信から解放すること、心が自由になることにつながる。というお話。

今日は終戦の日

今日、8月15日は、
戦没者を追悼し平和を祈念する日です。

69年前のこの日の正午
ラジオで玉音放送が行われ

昭和天皇による終戦の詔書の朗読が放送され
日本の降伏が国民に公表されました。



この音声を聞きながら、当時の人々の
気持ちを想像すると、こみ上げる思いがあります。

2年前ぐらいから、少しずつ歴史を学びながら
感じているること。

この戦争がどんな戦争だったのか。
この戦争の後に日本はどんな道を歩んできたのか。

それは決して過ぎ去った昔のことではなく
現在へ脈々とつながっているものであると感じます。

「歴史を知ることで、現在の事がよく見えてくる」
というのはよく言われていることですが、本当にそうだなと感じています。

「家督を継ぐ」ことと「隠居する」ことの歴史的な意味を知らなかったよ!

「家督を継ぐ」とか「隠居する」というのを
江戸時代よりも昔のずっと昔の考え方であり

今となっては、単なる人間関係における、
心の持ち方や精神的なものだと思っていたのですが

明治31年~昭和22年まで、日本には「家制度」という
法律(民法)できちんと規定された制度があり

「家督」や「隠居」についても、きちんと「家制度」の中で
規定されていたという事実を知って驚いた。

だって昭和22年までそういう法律があり、制度があったってことは、
僕のおじいちゃん・おばあちゃんの世代は、まさにその真っ只中の人。

父親・母親の世代だって、おじいちゃん・おばあちゃんから
継いでいるわけだから、その考え方を存分に引き継いでいたっておかしくない。

一方の僕は、そんな法律が
戦前まであったなんてことを、

今の今まで知らなかったわけだから、
世代間の考え方のギャップが生じるのも無理ないなぁ。

僕と同世代の方に質問ですが、「家制度」というものが存在し、
法律で規定されていたということをご存じでしたか?

意東小学校 校歌

意東小学校 校歌

 篠原 実 作詞
 佐藤 寿 作曲

一、

京羅木山の 朝雲ぬいて
そびえる大山 紫におう
おおしく けだかく 伸びゆけ子等と
ああ あの山が
呼びかける 呼びかける


二、

意東の野末 さざなみゆれて
ひろがる中海 水面が光る
ゆたかに 明るく 育てよ子等と
ああ あの海が
まねいてる まねいてる


三、

一木一草 むかしを秘めて
栄える故郷 ゆくては広い
仲よく はたらけ 学べよ子等と
ああ この丘が
ささやくよ ささやくよ

---

メロディーを僕がアルトリコーダーで吹いた
録音はこちらです(Key, メロディーとも正確かどうか不明です)

意東小学校校歌(アルトリコーダー独奏)

---

僕の出身小学校の校歌です。
この校歌を歌いながら育ちました。

小学生のころは、なにげもなく
ただ歌っていた校歌なのですが

大人になるにつれて、歌詞に込められた意味や願いを
味わい深く噛みしめるようになりました。

この地の風土に育まれ培われているという
感謝の気持ちや愛おしさの気持ちとですね

子供たちが、健やかに育ってほしいという願いを
重ね合わせて、素朴に歌詞に折り込んである

とてもすてきな校歌だなぁと感じていますし、
愛情を受けて育ってきたんだなぁという暖かな気持ちになります。

鳥居に書かれた年月の表記

松江市内の、とある稲荷神社にお参りしましたら
鳥居の年月の表記が次のように刻まれていました。

IMG_6936.jpg

「紀元二千五百五十八年 神有月」
漢数字をアラビア数字になおすと「紀元2558年 神有月」となります。

「紀元2558年」というのは、数字の大きさからしても西暦ではなく
これは神武天皇即位を紀元とする日本の紀年法だと思われます。

明治初期ごろから、第二次世界大戦で日本が負けるまでは
「紀元○○○○年」としてこの紀年法が普通に使われていたようです。

日本の紀年法(現在では皇紀という名称が使用されている)だと仮定して計算すると
皇紀2558年、明治31年、西暦1898年となり、つじつまが合いそうです。

神有月は言うまでもなく、他の地方では神無月と呼ばれていて
この出雲地方でのみ呼ばれている神々が集まる月の事でしょう。

暦は人々が生きる上での基盤であり、また歴史を学ぶ上でも大切なものなので
そういう暦の変遷のようなものには、とても興味があります。

建国記念の日をお祝いいたします

今日は、
建国記念の日ですね。

日本の歴史を勉強するということは
すなわち

日本という国がどのように始まり
どのような経緯を辿り、そして今に至るか

その中で人々はどのように考え
どのように生きてきたのか

ということを
知ることであります。

建国記念の日というのも
様々な経緯を辿って、今は2月11日に祝われる日なのですが

その由来を紐解こうとすると2673年も昔までさかのぼるという
壮大なものになってしまいます。

日本書記や日本の神話に由来があり、明治初期の政府に関係があり
昨日も書きました暦法(旧暦と新暦の違い)にももちろん関わってきますし

戦後の様々な経緯を経て
今こうして祝うことができるということ

これは僕にとっては、今年初めて学んで知ったことでして
そうすることで、今日が単なる「お休みの日」から「祝日」として

自分の素直な気持ちとして
祝うことが出来る日となりました。

学んでいる中で生まれてくる
謎や疑問もあります。

そもそも国とは何だろう?
国の始まりとは何か?建国とは何か?

そして日本にかつて住んでた人たちは、自分たちを日本人だと意識して
生きていたのだろうか?意識していたとしたらいつ頃からだろうか?

など、いろいろな疑問が出てくるわけですが、
その疑問を手がかりとして、かつての人々の気持ちに迫りたい。

歴史とは何か

「歴史とは何か」調べ考えていて
たどりついた司馬遼太郎氏の

『二十一世紀に生きる君たちへ』
にとても共感しました。その朗読です。

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